金沢城は北陸地方を代表する歴史的名城の一つで、加賀百万石の威容を今に伝えています。近年は城内の櫓門や土塀の復元整備が進められ、多くの観光客から注目を集めていますが、「金沢城 復元 いつ」といった疑問で情報を探す方も少なくありません。本記事では、金沢城公園における復元事業の歴史や最新の進捗状況を詳しく解説します。これまで復元された建造物の時期から、現在進行中のプロジェクト、今後の予定まで分かりやすくまとめて紹介します。
金沢城跡は明治維新後に陸軍に接収され、戦後は長らく金沢大学のキャンパスとして使われてきました。そのため城郭の大半は変貌し、現在は石川門や三十間長屋といった一部の建造物だけが重要文化財・史跡として残されています。しかし1990年代後半から復元事業が本格化し、城内では段階的に江戸期の建物が再現されてきました。最新の復元ニュースとしては鼠多門・鼠多門橋の完成と、新たに始まった二の丸御殿復元計画があります。金沢城各所の復元計画とスケジュールを、この先の見学の参考にご覧ください。
目次
金沢城復元工事はいつ始まった?
金沢城は1587年に完成し、加賀藩前田家の居城として栄えました。しかし、慶長7年(1602年)の落雷で天守が焼失し、その後は三階櫓が代わりに城の象徴となりました。宝暦9年(1759年)と文化5年(1808年)には大火で二ノ丸御殿など多くの建物が焼失し、明治維新後は陸軍が敷地を接収しました。戦後は金沢大学が城内にキャンパスを設置しましたが、大半の建造物は失われました。現在でも石川門や三十間長屋などが残り、いずれも重要文化財や史跡として保存されています(これらの保存時期に対する注目は別途重要ですが、本記事では復元事業の開始時期から解説します)。金沢城公園として再整備が始まったのは1990年代末です。
金沢大学移転と城公園化の始まり
金沢大学は1970年代から城内にキャンパスを構えていましたが、1990年代に新キャンパス整備が進められました。平成7年(1995年)までに城内の全施設を新キャンパスへ移転し、翌平成8年(1996年)に石川県が旧金沢城跡の大部分を取得して金沢城公園の整備を開始しました。これにより城郭内は一般公開され、発掘調査や資料収集が進められたことで復元工事への準備も整いました。平成11年(1999年)には二ノ丸エリアの復元工事が着工し、金沢城復元プロジェクトが本格的に動き始めたのです。
平成期に進められた主要復元プロジェクト
1999年(平成11年)から2001年(平成13年)にかけて、金沢城公園の二ノ丸地区で大型復元工事が行われました。二ノ丸菱櫓、五十間長屋、橋爪門続櫓など3棟がこの時期に完成し、2001年7月に一般公開されています。また、平成19年(2007年)11月からは金沢城三御門の一つ「河北門(にしのまるニノ門)」の復元工事が始まり、約2年半の工期で平成22年(2010年)4月に完成しました。これらの復元は歴史的資料に基づいて忠実に再現され、復元直後は県民参加の瓦寄進なども行われました。平成期を通じて、石川門など残存していた建物を除き、江戸期建築の復元が着実に進められたのです。
近年の復元計画と最新動向
更に近年では平成30年(2018年)から鼠多門・鼠多門橋の発掘・復元工事が本格化しました。鼠多門は城西側の玉泉院丸と金谷出丸(尾山神社)を結ぶ櫓門で、約140年ぶりに2階建ての櫓門と大規模な木橋が再現されました。2018年7月から復元工事に着手し、令和2年(2020年)夏には完成。尾山神社から玉泉院丸庭園を通じて二ノ丸方面に至る新たな回遊ルートが整備され、城下町の観光性も向上しました。
こうした実績を踏まえ、金沢城復元の総仕上げとも言われる二ノ丸御殿の復元計画が進められています。令和元年(2019年)に専門委員会で検討が始まり、令和3年(2021年)3月に基本方針が策定されました。令和6年度(2024年度)から復元整備の第1期工事に着手する予定で、まず玄関や式台周辺を対象に約240坪を復元します。2025年(令和?)3月には起工式が行われ、今後数年かけて基礎から柱・梁の躯体整備を進め、最終的には2033年度中の完成を目指しています。
二の丸御殿復元計画はいつ完成する予定?

二の丸御殿の歴史的意義
金沢城の二ノ丸御殿は、江戸時代に加賀藩主の居館として建設された大規模な建造物です。約3,200坪もの敷地に60以上の部屋があり、藩主の政務や居住、藩主夫人の居住区など3つのエリアに分かれていました。現存している資料によれば、御殿は1772年(安永元年)に再建されたものが明治14年(1881年)の廃城まで存在し、内部には極彩色の障壁画や金箔装飾が施されていたと伝えられます。二ノ丸御殿の復元は金沢城復元事業の「総仕上げ」と位置付けられており、その再現には最新技術と高度な伝統工法が投入されています。
令和に入って始まった復元工事
令和に入ると、二ノ丸御殿復元に向けた取り組みが加速度的に進みました。平成30年(2018年)から続けられていた調査検討の結果、令和3年(2021年)に基本計画がまとめられ、その後継続的な設計検討が行われました。そして令和6年度から第1期復元整備工事に着手することになりました。第1期工事では玄関や式台を含む御殿の「表向(おもてむき)」の主要部位約240坪が対象です。現在は工事現場を「素屋根」と呼ばれる巨大な覆い屋根で覆いながら、基礎工事と柱・梁の骨組みを組み上げる作業が進められています。これらの躯体工事は2030年度をめどに完了させ、その後3年ほどかけて屋根葺きや内部装飾など内外装の仕上げ工事が行われる予定です。
完了時期と第2期工事の展望
県の発表によれば、第1期工事は2033年度までに完了する見込みとされています。復元面積は御殿全体の約7%にあたるため、その後は間をおかずに第2期工事に着手し、残る主要な大広間や御殿奥の造作などを復元する計画です。復元には総額150億円超の巨額の事業費と長期間の施工が必要となりますが、完成すれば城全体の中心建造物がほぼ当時の姿に蘇ります。こうした大規模事業は今後も県議会での承認や資金確保が続き、令和6年(2024年)以降も長期的に進められる予定です。
金沢城復元の主なプロジェクト

鼠多門・鼠多門橋の復元
鼠多門(ねずたもん)・鼠多門橋は城西側にある櫓門と木橋で、明治17年(1884年)に焼失して以来、約140年ぶりに復元されました。門は城内最大規模の木橋で尾山神社方面と玉泉院丸を結び、櫓門には元来2層2階の構造がありました。平成30年(2018年)に発掘調査を経て復元工事が本格化し、令和2年(2020年)夏に門と橋が完成しています。黒塗りの海鼠漆喰壁や鉛瓦の屋根など往時の姿が忠実に再現され、現在は尾山神社→鼠多橋→玉泉院丸庭園という新たな観光回遊ルートが整えられています。
河北門の復元と一般公開
河北門(かほくもん)は金沢城の正門にあたる枡形門で、江戸時代には一の門(高麗門)と二の門(櫓門)から構成されていました。1759年(宝暦9年)の大火後に再建されましたが、明治15年(1882年)頃に撤去されて姿を消していました。平成19年(2007年)11月から復元工事が始まり、歴史資料・古写真に基づいた日本伝統工法で2年半かけて再建。平成22年(2010年)4月に完成し一般公開されました。現在は復元された二の門(櫓門)の内部にも入ることができ、復元当時の構造や白壁・軸組を間近で見ることができます (当分は夜間照明も実施) 。
菱櫓・五十間長屋など江戸期建築の復元
初期の復元事業でミッキーが完成したのが二ノ丸菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓の3棟です。これらは平成11~13年(1999~2001年)に復元工事が行われ、当時の図面や技能者の技を駆使して忠実に再現されました。これらの復元により、宝暦の大火で失われていた城東部の枡形虎口や二ノ丸北虎口の諸構造が再建されました。現在はこれらの施設は常時公開されており、内部はシンプルな構造のため、壁内に再利用された旧石垣の石などを見ることができる点も見どころです。金沢城の復元は「本物志向」がコンセプトとされ、他の門や石垣、土塀も伝統工法で慎重に復元されています。
まとめ
金沢城の復元事業は1990年代後半から続く長大なプロジェクトで、多くの建造物が段階的に甦ってきました。すでに二ノ丸菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓や河北門、鼠多門・鼠多門橋といった主要施設は復元が完了しており、城の歴史的景観は着実に再現されています。令和6年度から始まった二の丸御殿復元工事は、城内最大の建物を対象とするもので、第1期は2033年度までの完成が見込まれています。以降は第2期工事で大広間などを復元し、城全体として当時の姿を取り戻す計画です。
今後も工事は継続し、復元完了までには多くの年月を要しますが、新しく生まれ変わる金沢城の姿は注目に値します。訪問の際は、これまで完成した復元施設とともに、復元計画の進捗にも目を向けてみてください。最新情報を確認しながら歩けば、城跡の見学がより深く楽しめることでしょう。
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